ヨガとの出会い

これまたよく聞かれる質問に

「どこでなんのヨガを学んだのですか?」

ということがあります。

聞かれるたびに私はちょっと困ります。

私の場合、大きな学校に通ったり、

資格登録店の有名な資格コースをとったわけではないので。

大変に恐縮してしまうわけです。

なんですが、とっても運が良くいく先々で素敵な先生に出会い、学ばせていただいています。

ヨガとの出会いは私の人生を大きく大きく変えました。
あの時ヨガに出会っていなかったら、確実に違った人生を歩んでいると思う。
それはそれで華やかで楽しいものだったと思うけれど。

ヨガに出会う前の私のことからお話しようと思います。

小さい頃に通っていた幼稚園は、モンテッソーリ教育を取り入れたカトリックの幼稚園で、
心や表現性、集中力、自主性、思いやりを大事にしているところでした。
幼稚園なのに、一人で編み物や刺繍をしたり、三つ編みをしたり、ガラスのビーカーで色水を入れ替える作業をしたり、
生ピアノでリトミックの時間があったり、説法の時間があったり、
とてもいい時間を過ごしていました。学ぶことの楽しさを知ったのはこの頃だと思います。

その教育のお陰かはわかりませんが、4歳の頃「地球を守るオトナになりたい。」と思った瞬間をはっきりと覚えています。
子供の頃から自主的に寝る前にお祈りをしたり、食事の前にお祈りをしたり、そういうことが当たり前にありました。
5歳の頃、親の転勤で幼稚園が変わり、普通の幼稚園に行った時に、子供ながらに「前の幼稚園とやることが全然ちがう!」と思ったのも覚えています。適応しなきゃ!と。

その後も環境に恵まれて、音楽やら、ダンスやら、かなり質のいい教育を受けて育ち、
楽しく学び、何の問題もなくすくすく育ちました。
学校の勉強が嫌になったこともなかったし、
小学校の頃には毎日自分でストレッチや目の体操をするようにしていました。

ゲームセンターが嫌いで、
「電気を使うゲームなんかやらないで、こどもはアスレチックで遊ぶべきだ。」
と本気で思っている渋い子どもでした。

寝る前には必ず本を読んで、自分でも小説や絵本などを書いて。
なんにもなしで一人で無限に楽しめる子でした。

高校生の頃に入った部活がスパルタで、朝昼夜と練習があり、
合宿中は睡眠時間ほぼなしで踊りっぱなし。
なんでも集中すると徹底的にやる自分は
朝練の前にさらに自主練をしたり、それ以外にもバレエの教室に通ったり。
徹底的に身体をいじめた高校時代でした。
辞めたくても怖くて辞められない。
厳しい上下関係や理不尽な状況。

この時にうっかり創造性を見失います。
小説も書けなくなり、絵も書けなくなりました。
そして自分を追い込み、犠牲にし、責める癖がついてしまいました。
その後、しばらくすべてを苦痛と共に完璧にやらなければ気が済まない、
そしてそれを周りに求めるという癖が自分を苦しめます。

高校卒業後、哲学や、文学、自分の進みたい道はありましたが、縁あって舞踊の道を選び、大学は舞踊学を専攻しました。

東京での学生生活。
アルバイトをして、家賃以外のほとんどすべてを舞踊の勉強に費やす日々。
こうと決めたら徹底的にやらなければ気が済まないので
毎日最低2レッスン稽古をして、早朝バイト、夜バイトをして創作活動もしてと
睡眠時間がない日なんて当たり前、体が動かなくなったら鍼や整体でなんとかしてもっと動く。
そんな、なんの余裕もない仕事と稽古の毎日でした。

おかげで舞踊の勉強はどんどん深まり、身体の精密さもどんどん深まり、技術はどんどんマニアックな方へ進み始めました。
振り付けの活動を始めたことから、再び絵を描き始め、文章も書くようになりました。
それでも自分を追い込む癖は抜けず、苦しみながら創作活動や訓練をする日々でした。

コンタクトインプロヴィゼーションというダンスとの出会いから、武術や気功というものも知るようになり、
武術や舞踏、発声、20歳くらいの頃から様々なワークショップにいくようになります。
ヨガに行き着くのも時間の問題でした。

24のとき、自分の身体のさらなる向上のためにはヨガが必要だと思い、
なんだかわからないままヨガに通うようになります。
当時はトレーニングのためにスポーツジムで何キロか走ったり、筋トレをしたりするのが日課だったので
ジムのヨガクラスを受けてみますが、
「これヨガじゃない!!」
と、やったことがないくせに確信し、東京のヨガスタジオ巡りを始めます。

わりと大きなヨガスタジオでインド帰りの素敵な先生のクラスを受けるようになり「これだ!」と確信。
体で掴むところまでとことんやってみないと気が済まないので、
毎日1~2レッスン、1ヶ月ほぼ毎日通い続けたところ
突然エネルギーが流れ始め、それを視覚化するようになりました。
本を買って瞑想なんてものの真似事もしてみたけれど、さっぱりわからず。
ヨガの理論なんて知らなかったのでとりあえず「なにこれ!!??」と驚いて、インドへ。

そして24歳の頃に出会ったのがインドに10年以上暮らしているハンシさんとその師匠、スワミアムリットマハメダ氏でした。
タントラヨーガ、ラージャヨーガの先生です。
形にはまらない、いさぎよい生き方をしている先生でした。
リシュケシュでヨガとアーユルヴェーダのコースをやっているのをインターネットで見つけて参加したのです。

英語が苦手な私に日本語でみっちりとヨガ理論のクラスをやってくれ、
毎日の朝晩のアーサナの時間に瞑想、ベジタリアンの食事。
アーユルヴェーダのこと。
女性の一生、妊娠、出産、死のことまで。

瞑想ってこういうことだったのか!と衝撃を受け
自分には知らない「感覚」がまだあったことを知り、
きっとそれは他にもたくさんあるのだろうと思いました。
毎日が発見の連続、目から鱗の日々でした。

身体能力の向上を目的にヨガの道に入った私にとって
魂の救いというか、魂の本来の意味を知ることになるのは思ってもみないこと。
自分が渇望していない故に、すごくフラットに健全に学べたのだと思います。

その頃のリシュケシュは今のようにヨガツアーみたいなのでぞろぞろ来る集団日本人もいなかったので
カオスな町はうるさくて、でも心は静かで、おとぎ話のように不思議な濃い毎日を過ごすことができました。

そんな1ヶ月のコースでの日々の最後、頑張りすぎ、完璧を目指しすぎ、自分を責めすぎな自分が言われたのはこの一言。

「あなたの魂は本来すごく自由で創造的なものだよ。スピリチュアルであることがあなたの人生にとっての大事なキーワードになる。」

「自由」なんて言葉とは無縁だと思っていたので、その言葉は衝撃的であり、救いでもあり、
なんだか泣いてしまったことを覚えています。

当時、「スピリチュアル」という言葉に偏見があり無知だったので、
(メディアの中で見るような、宗教やセミナーにはまっている人たちしかイメージになかったので。)
スピリチュアルという部分はイマイチ腑に落ちず、
「そうはなりたくない。」
なんて冷めていたことも思えています。

「もっとアーサナやマントラを学びたい。指導者養成コースとかを受けたい。」
という私に言ったスワミの一言。

「ヨガはカルチャーセンターで学ぶお稽古ごとではない。生き方だ。そんな資格をお金で買って満足して、
アーサナ、マントラコレクターになったって「職業」になっても「ヨガ」にはならない。
あなたは特に、今までのダンスの修練で体の準備はできているのだから、まず生き方を変えなさい。」

その時は深い意味とかが全然、理解できなかったのだけれど、
「こう言ってくれているのだから指導者コースを受けるのはやめてみよう。
今は、行っている意味がよくわからないけれどその言葉通りに行動してみよう。」
とりあえず素直にそう決意。

帰り際、先生がなんども私に言ったのは「自由」という言葉でした。
自由なんて考えた事なかったけれど、急に「自由」に憧れをもってしまった。
「自由」ってなんだろう。
自由になったら、もっと幸せになれるのかな。
もっと楽になれるのかな。

ひょっとしたら私は、自分の人生を歩んでいないのかもしれない。
社会からの要求に自分を合わせているだけなのかもしれない。
それが当たり前になっているのかもしれない。

そんな思いを抱いて初めてのインドから帰国。
自分なりにできる生活の改善をしようと、東京から新潟に引っ越します。

その中で、ベジタリアンを貫き、朝晩ヨガをし、勉強を続けたいという自分の理想の暮らしと、
東京でのダンサーとしての暮らしと、
新潟の実家でできる暮らしのギャップに悩み、
徹底的に心が折れてしまいました。

いろんなことが重なって、今までどんなに苦しくても一生かけてやっていく自分の仕事だと思って
人生かけてやってきた舞踊と離れて生活をすることになり、
悩み、苦しみました。

「魂の望むことをやっていい」なんてことは大嘘で
人間は毎月のお給料のために、家族を養うために働くことが一番大事なんだ」と思おうとしました。

会社で働くことは嫌いじゃないし、楽しいし、実際、思い悩みながらダンスの仕事をしていくことよりも楽です。
自分が大事にしていること、真剣にやっていることを仕事にするほど大変なことはない。
特にもともと社会にレールのようなものが無く、
自分でレールを作らなければ仕事にならないようなことを仕事にするのは大変なことでした。

人と一緒に仕事をするのが好きなので、会社で働くのは私にとって楽しい時間でした。
楽な方をやっていればいいじゃない。
と、自分を納得させようともしました。

だけれどもなにものかがそれを許しませんでした。

この後、何度か、3ヶ月ほどインドに行って再びアシュラムに入ったり、
先生を探してアーサナの勉強をしたり、説法を聞きに行ったり、
神様のお祭りや、キールタンに参加して毎日歌を歌ったり、
ヨガの勉強を続けます。
生活の勉強を続けます。

その度に神秘体験は増えていき、スピリチュアルという言葉へのアレルギーが無くなり、
物質社会よりも魂やエネルギーを大切にする生活がリアルなものとなっていきます。

26歳くらいから自営で働き始め、自分自身で仕事を作り出し、いろんなところに掛け合い、仕事を取るようになり
「会社からお給料をもらって働く」という割合を少しずつ減らしていきました。
罪悪感を感じずにできる仕事をやりたいと思ったからです。

こんなものを売っていいのか、こんなところに貨幣を流していいのか、
「未来の地球のためにならないのではないか」と罪悪感を持ちながらやっていた仕事で得る貨幣を減らしていきたかったのです。

そしてその割合が減って、ダンスやヨガなどの身体に関する仕事の割合が増えていくごとに
少しずつ自分自身というものがわかってきました。
そして行き着いた自分の中の叫び。

「舞踊というものがなんなのか知りたい。」

そして

「それが見つかれば、今、ヨガで学んでいる真理のことも本当にわかる気がする。」

舞踊を極めることは真理に近づくことだという直感があったのです。

当時の私の言葉を使うと
「ダンスの秘密は世界の秘密と繋がっている。」
そう確信し舞踊の秘密を知りたい、体験したい、と思うようになります。

28歳の時このままじゃだめだと、新潟を出て、世界中を旅することになります。

やりたいことで生きていくために、
計画を立てて資格を取ったり、仕事を作ったり、こつこつ貯金をしたり、
石橋を叩いてちょっとずつ渡ることしかできない、勇気のない自分にとって
これは本当に勇気を出した決断。
ヨガをやっていなかったらできなかっただろうと思う。
大きな力のお導き。

様々な国を回って、その土地の舞踊を学び、音楽に触れ、文化を知る。
儀式に参加し、その国の神を体験する。

ヨガの先生を見つけては近所で暮らしながら学ばせてもらう。

様々な国の様々な水準の暮らしを体験する。

もちろん一生懸命リサーチして「ここに行こう」と努力はするけれど
結局、いけないところには行けず、行くべきところにたどり着く。
運命というやつに、知らないうちに連れて行かれることの方が多い。

自分の芸だけでお金を稼ぎ、世界を周り、生活をしていく。

こんなこと、なかなかできることじゃありません。
そんな3年半。

その時その時は、いつも必死。
自分がちゃんと生きているか、
行くべき道を歩んでいるのか、
勉強は足りているか、
怠惰になっていないか、
いつも自問自答。

悔しい涙、
恐れ、
異国で身体を壊した時の不安、
自分の踊りに対する不安。

どれだけ泣いたかわからない。
どれだけたくましくなったかわからない。

終わってみれば、どの瞬間も学びの多い、本当にいい時間だった。

素晴らしいことをたくさんたくさん学んだ時間でした。

こんなことを言っては笑われそうですが
私の奥底は本当に「悟り」たかった。

そんなことはできるわけがないと思いながらもそれを望んでいた。
真理を知りたかったから。

瞑想の中で何度か非常に深いところへ行き
体験したことのない体験を得て、
宇宙とのすさまじいまでの一体感を発見したこともあった。

その時は完全に満たされていても
一ヶ月くらい普通に暮らしてしまうと
「自分には何か足りていない」
と思うことの繰り返し。

3年くらい、最高の瞑想と普通の日常を行ったり来たり。

「庶民はどうせ悟れない」

そんな思いで過ごしていました。

30歳でレイキやシータヒーリングを学び直していた時に
ふと出くわしたキーワードがあって、
自分の中に「悟りは特別な人だけのものだ」という思い込みがあることに気がついたのです。

そして自問し始めた。

一度でもその体験をしたのだとしたら
なぜそれを知っていることを認めてあげないの?

そしてなぜ、自分が常にその状態にいるのだと認めてあげないの??

自分自身で「そんなわけはない。」と否定していることに気がついたのです。

そして認めることにしたのです。

ある時は怒るかもしれない。

ある時は泣くかもしれない。

ある時はいらいらするかもしれない。

だけれども、私の魂はその状態にいる。と。

それを受け入れるまでにはいろいろな試練があったのだけれど。

受け入れられるようになったのです。

その瞬間に、ツツツーっと記憶は戻り、
一番最初のヨガの先生の言葉。先生の授業。

あの言葉の「形」がなくなって自分の中にすっかり入った。
わからないことなんてなくなった。

全部知っている感覚になった。

ヨーガをしているときのあのあらゆるボディの一体感も、
瞑想をしているときの宇宙との一体感も。
身体の使い方、骨や筋肉の置き方も。
呼吸の仕方も。

そうなった途端
「学ばねばならない」
ということからやっと卒業できて
「~ねばならない」なんてことって、どんなに素晴らしいことにだってないじゃん。
と思えるようになったのです。

本当に望むことをやっていれば
すべてが完璧に美しいじゃん。と。

そうしたら突然力が抜けて、
脱力キャラになってしまいました。笑

今の私しか知らない人には
想像つかないであろう壮絶真面目追い込みキャラは一体どこへ??

それくらい大きな大きな変化でした。

そして、もう一つ大きな変化がありました。

実はヨガを始めてからますます強く
人の気持ちや嘘が手に取るように見えるようになったんです。
エネルギーの質感や光も。

言葉の通じない国の人ともコミュニケーションがとれたり
見えないはずの数字が見えてしまったり、
そのひとの過去がピーンと見えてしまったり。

それがあまりにはっきり見える時期に
その時に付き合っていたパートナーに気持ち悪がられてしまって
そういう能力を自分自身で否定するようになりました。
見ないように努力するようになりました。

そしてそういうことを封印するようになっていたんです。

「普通の人でいなければならない。」を手放したときに
パートナーに嫌がられて封印していた個性も認めてあげるようにしました。

そしてもう一つできるようになったこと。

何かが見えたとしても変えようとしない。
受け流す。

それができるようになってきた。

その人の中の欲望やエゴ、大きな渦でついてしまった嘘。
それによる行動。
それの意味が全部見えてしまっても
それに傷つくことを選択せずに
受け流していればいい。

わかったって他人のことは変えられない。
変えようとしたり、救おうとしたりするのは
私のエゴ。

そうしたらとっても楽になりました。

こんな風に、発見した自分の新しい感覚に驚いては、新しいことを学ぶことの繰り返し。

ヨガは自分の中の一番美しくバランスのとれた状態を探す旅のようなものかもしれません。

バランスのとれた状態、つまり調和のとれたものは
とても美しく雄大。

アーサナも、その時の気温、湿度、時間、エネルギーの状態、身体の状態の調和をとっていくためのもの。
こうでなくてはならないなんてことはないんだなと最近思います。

絶妙に調整し、調和させてあげるべきものなのだなと。

このようにして私はヨガと出会い、その一部になりました。
ある瞬間から「私はヨガなのだな」と思うようになりました。

どうぞ皆さんもヨガを通して、
自分の中の本当の要求を見つけてみてください。

そして自分の人生を生き始めてください。

誰かのためのではなく自分自身のための。
この宇宙のための。

ヨガはそれをガイドし、サポートしてくれます。

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